絶望に変わった日から。 僕はその日以来、病院には行きませんでした。 薬も、もらったその日、病院からの帰り道に捨てました。 周りの友人たちや、元彼女には説明しましたが、 内心ではまったく信じてはいませんでした。目を逸らしていました。 自分の都合のいいように解釈し、ストレスに敏感になりました。 大きな音は控えるようにと言われていたのにもかかわらず、 バンド活動は辞めませんでした。 毎日外に出歩いて、運動もしていました。 そのとき僕は、まったく自分勝手な人間になっていました。 自分だけが孤独。自分だけが死ななければいけない。自分だけが不幸。 そんな考えが付きまとい、美恵子にも八つ当たりが飛びました。 でも、当時感じた感情で今でも信じていることがひとつだけあります。 「他人は助けてくれない。」 僕に同情してくれても、行動を起こしてくれる友人はいませんでした。 当時はそれが寂しくて仕方ありませんでしたし、 孤独感に苛まれましたが、今では自分が行動するための糧となっています。 この思いは、一人前の人であるための心がけだと思っています。 それなのに当時の僕は。 元彼女に依存し始めました。 助けてほしい。何とかしてほしい。一人にしないで。 今思うと吐き気がするほど自分勝手な僕ですが、 残念なことに当時は全く気づいていませんでした。 元彼女と会わない時間は、美恵子とずっと話をしていました。 生きていることの素晴らしさを語り明かしました。 僕と出会ったことで、美恵子は生きることができた。 僕はあたかもその功績を確認するように、毎日毎晩語り明かしました。 やがて、元彼女に限界が来ました。 現彼氏に引け目を感じ、狭間でバランスをとりながら、 僕の介護(冗談抜きで)に従事してくれていました。 今思えば、それは並大抵のことじゃなかったと思います。 そしてまた、会えば喧嘩する日々に逆戻り… 日々ストレスをため、死ぬかもしれない焦りと戦わなければいけないのに、 こりもせず連絡をとり、会っては喧嘩していました。 そんな日々が続き、自分の死が具体的なものになってきました。 自覚症状が出始めたのです。 視界が狭まり、体が思うように動きません。 激しい頭痛や、めまいが続きました。 僕はこれを治せるのは元彼女しかいないと 盲目的に信じていました。もちろん根拠なんかどこにもないのですが… 美恵子も僕の症状を感じ取って、死にたくないと言うようになりました。 でもこの時、美恵子は美恵子で成長したんだなぁと思っていました。 何しろ、出会ったころは僕を殺そうとしていたのです。 その美恵子が、僕と共に生きたいと願うようになっていました。 これはとても嬉しくて、無駄じゃなかったと思うことができました。 だからこそ絶対に死ぬわけには行かなくて、本当に焦っていました。 でもついに、最後の時は訪れたのです。 続きはまた次回…