運命的な出会いは、とんでもない形で訪れました。 妙にリアルな夢(?)を見ました。 あまりハッキリとしないのですが、ある幼い女の子が話しかけてくるのです。 僕はすぐに昨日僕を苦しめた子だと直感しました。 その子は、とても申し訳なさそうに僕に言いました。 「昨日はごめんなさい…ついてきちゃった」 僕はもうあきれ果ててしまいました。 だってこれほどまでにしつこく付きまとってきた「幽霊」は初めてでしたから。 だからもうちゃんと話を聞いてやろうと。半ば観念したような気持ちで言いました。 「どうしたの?どうしても俺じゃなきゃだめなのか?」 すると、その子はポツリポツリと話し始めました。 その子の名前は神崎美惠子。年は亡くなったときに10才だったそうです。 太平洋戦争末期、1945年7月9日。 現在、岐阜空襲と言われる空襲で、命を落としたそうです。 美惠子の話だと、お外で遊んでたときに、爆弾が振ってきた。 らしいのですが、後で調べた所、 岐阜空襲作戦は、23時半ごろ〜0時20分ごろにかけて行われているので、 おそらくは、記憶が混乱していたんだろうと思います。 逃げ惑う中、爆弾の破片で背中からお腹を突き刺され、 逃げていく友人、親、兄弟を見つめながら死んでしまったそうです。 それ以来、お母さんにあいたい一心で一人待ち続け、 僕に出会ったそうです。 僕は、ひとつ納得できないことを質問しました。 「でも何で俺なの?」 言った後、ちょっと冷たいかなと思い、罰が悪かったのですが、 美惠子はすぐに、 「とてもいい人に見えたから。」 と、屈託のない笑顔で僕に言いました。 聞けば、今まで自分に気づいてくれた人は、まったく話を聞かずに、 成仏させようと祈ったり、とにかく一方的だったそうです。 僕は正直な話、かなりその子に同情していました。 理不尽にも振ってくる爆弾にやられて死ななければいけない気持ち。 助けを求めても、助けてくれるはずのない友人。肉親。 そんな経験を経て、60年余りを一人で過ごした孤独。 僕はこの子の為に、何かを成し遂げなければいけない、 ひとつの義務感に囚われていました。 「俺はどうしたらいい?出来る事なら何でもするよ。」 本心から出た言葉でした。美惠子は、 「私、行かなきゃいけないところがあるの。一緒に来てくれる?」 なんとも無茶な、一緒に死んでくれ発言。 冷静な僕なら、断る言い訳を必死で探すのですが、 残念ながらまったくもって冷静じゃありませんでした。 「わかった。一緒に行こう。」 そう答えたときの美惠子の顔は、本当に無邪気で、 僕も本当に満たされた気持ちになりました。 でも、心残りなのは、彼女でした。 彼女が帰ってきた時、僕が死んでいたらどう思うだろう? そんなことがふと頭をよぎり、少し死ぬのが怖くなりました。 この後、美惠子は僕に初めての、とても神秘的な体験をさせてくれました。 続きはまた次回…